自分がいつか死ぬなんて考えられない

思考・習慣

こんにちは。

しろあとです。

今回は哲学的ともいえるテーマです。

私は今現在、毎日楽しく過ごせています。

「幸せですか?」

と問われれば多少の疑義はありますが、それでもおおむね満足しています。

そして、何よりもこれからやりたいことがたくさんあります。

私は人生でやりたいことをリスト化し、

『人生でやりたいことリスト100』をExcelで作成しました。

100でとどまることを知らず、今では130くらいになっています。

100を超えてしまったからには、500や1000まで作ってみようかなとも考えています。

現在も時々、修正更新しています。

人生の終わり

そんな中、ふと思うことがあります。

【いつか自分が死ぬときが来るんだな】と。

私はいい年した大人ですが、いまだにこの事実を直視できません。

学生のときのほうが、より俯瞰的かつ客観的に見れていた気がします。

「人間はいつか死ぬものだから」

と達観していたところがあります。

しかし、以前から時を経た今でも、まるで当時に逆行するかのように、現在ではこの当たり前の事実を受け入れがたくなっています。

学生の頃の考えには、ある種、あきらめというか無力感が含まれていたかもしれません。

「どんなに今が充実してもどうせ死ぬし」

「努力して積み上げて何か達成したところで、死んだらそれでおしまいだし」

「偉人になれるわけでもなく、教科書にも載るわけでもなのに、マジなってどうするの?」

こんな思いが根底にあったのかもしれません。

社会人になって1日の大半を仕事に捧げ、その対価としてある程度のお金が手に入るようになってからも、学生時代と同じような考えがありました。

学生の頃よりも幾分かマシになってような感じもありましたが、気を抜くとすぐに達観モードに入ってしまい、死に対して抗う考えが払拭される。

そんなサイクルがときたまありました。

そんな私にも、漠然ですがターニングポイントが2つありました。

1つ目は、25歳になって初めて挑戦した1人旅です。

私の家族は旅行に出かけることがほとんどなく、2~3年に1度あるかないといった頻度でした。

そのため、旅行に対して大人になってからも価値や意味を見出せずにいました。

観光地に行く、食事をする、温泉に入るなどのレジャーも、何がそんなに楽しいのかわかりませんでした。

観光地は地図や本で見ればいい、食事は家のもので十分、温泉のためだけにわざわざ遠方にまで行く意味がわからない、そんな風に思っていました。

しかし、社会人になりお金を得てからというもの、行動範囲が広がります。

本当にふとした思いつきですが、遠くに行ってみたいと思い、初めて一人旅をしてみました。

これが本当によかった。

どんなにこすり倒された有名な観光地であっても、自分の目で見て感じて考える体験は最高でした。

「こんな景色が日本中、世界中にはまだまだあるんだ!」

そう思うと、いてもたってもいられずにわくわくしてきます。

当時は月1で旅行しており、47都道府県すべてを周ることを目標としていました。

毎月旅していても4~5年はかかります。

長い時間かかりはしましたが、とても充実していた期間でした。

47都道府県の旅を終えると、今度は

「世界197か国を旅したい!」

と思うようになりました。

この瞬間、私は強く思ったのです。

「死にたくない!」 と。

冷静に考えて197か国まわるには、月1で海外旅行したとしても18~19年くらいかかってしまいます。

ただスケジュールや経済的なことを考えると、月1で海外旅行は正直厳しい。

定期的に何度も行けるものではなく、頑張っても年3回が限度です。

そうなると、達成までに3~4倍時間がかかってしまう。

197か国まわるまで60~70年の歳月がかかってしまう計算になります。

ふと、現在の年齢から60年重ねたところを想像した瞬間、

「あ、いつか死ぬんだ」

との考えが浮かんできたのです。

でも世界一周を達成できないかもしれないなんていう考えは、持ちたくありません。

自分がいつか死ぬなんて、まったく考えられないのです。

2つ目は、ICL手術を受けたことです。

過去記事『ICL手術したらQOLが爆上がりした』https://shiroato-sanpo.com/?p=14

ICLとは視力回復術で、目の中にコンタクトレンズを埋め込むことで視力の回復を図る手術です。

レーシックが角膜を削るのに対して、ICLは角膜を削りません。

私はちょうど1年くらい前にICLを受けて以来、人生が変わりました。

「メガネなしでこんなにも見える世界が変わるのか! 」

改めてそう感じました。

やっぱりメガネやコンタクトは生きる上で面倒です。

しかも ICLは視力だけでなく、見え方まではっきりくっきりと鮮明で、目のトラブルとも無縁です。

旅先での景色、温泉やサウナ、スポーツ、レジャー、食事場面など、メガネがないことで楽しめることが、めっちゃ増えました。

視力が回復したことで、私は明らかに活動的になり、性格も明るくなりました。

何をしていてもよく見えて楽しい、もっとやってみたい、知らないことを知りたい、まるで子どもに戻ったかのように毎日が充実するようになりました。

「もっと早くやっておけばよかった」

という淡い後悔と同時に、

「これからの人生、もっと楽しくなるぞ!」

という謎の期待感や万能感を抱きました。

しかし一方で、例の考えがよぎります。

「こんなによく見えて楽しい毎日もいつかは終わる」

「自分がいつか死ぬなんて到底受け入れられない」

そんな風に思ってしまうのです。

いいことがあれば悪いことがある

私の思考の傾向を分析してみると、プラスマイナスゼロ思考があるように思えてきました。

「とても楽しい」

「毎日充実」

とポジティブな側面を意識していると思えば、

「いつか終わる」

「自分がいつか死ぬなんて」

などとネガティブな考えになってしまう。

ポジティブとネガティブの量がちょうど半々くらいになるように、無意識にバランスをとった考えになっているのかもしれません。

幸せの絶対量は決まっていて、不幸の総和とちょうどトントンになるような意識です。

人生を楽しみつくすしかない

自分の命の終わりが刻一刻と近づいている現状を受け入れる必要があります。

通常の寿命だけでなく、健康寿命まで考えなければなりません。

90、100歳になって海外旅行や登山など、気軽にできるとは考えづらいものです。

自分がいつか死ぬというタイムリミットを意識した瞬間、私はじっとはしていられなくなりました。

常に何かしていないと、人生の無駄遣いと思ってしまうことが多々あります。

もちろん、休息や余暇も人生を充実させる大事な要素です。

ポイントは、

「自分が楽しいかどうか?」

「自分がわくわくするか?」

だと思います。

例えば、酔っぱらってボーっとする時間、自分がいい気持ちだったり楽しかったりすれば、それはとても有意義な素晴らしい時間です。

一方、行列に並んでひたすら待つ時間も、同じボーっとしている時間ではありますが、行列嫌いの人からしてみれば苦痛な時間だと捉えられてしまいます。

そういった場合には、行列に並ばず、もっと自分が楽しめてわくわくする活動に集中したほうが、自分の命を燃やし尽くすことができ、よっぽど有意義な時間を過ごせます。

「いつか自分が死ぬときが来る」

こんな考えを浮かべる暇がないくらい、毎日を楽しみつくすことが今の自分には必要なんだと感じます。

「今が楽しい」が続けば、「1日が楽しい」。

「1日が楽しい」が続けば、「1週間が楽しい」。

「1週間が楽しい」が続けば、「1か月が楽しい」。

「1か月が楽しい」が続けば、「1年が楽しい」。

「1年が楽しい」が続けば、「○歳代が楽しい」。

「○歳代が楽しい」が続けば、「人生が楽しい」。

まずは、今が楽しいかどうか。

そのことだけを考えてともに生きましょう。

しろあと

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